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青森市

・ このページの最終更新日時 2015年5月23日 (土) 06:33




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青森市 あおもりし 青森県の中央部にある都市。青森県の県庁所在地で、県の政治・経済の中心。北は陸奥湾にのぞみ、青森平野から津軽平野東部に位置し、八甲田山をはじめとする周辺の山地からなる。西は五所川原市、南東は十和田市、南は黒石市に接している。三内丸山遺跡があり、8月初旬には「ねぶた」でにぎわう。


1898年(明治31)に市制施行。1939年(昭和14)に油川町(あぶらかわまち)、51年に滝内村、54年に大野村、55年に筒井町(つついまち)と、高田村、横内村、東岳村(あずまだけむら)、浜館村(はまだてむら)、荒川村、新城村(しんじょうむら)、奥内村(おくないむら)、原別村の1町8村、56年に後潟村(うしろがたむら)、62年に野内村(のないむら)を編入。2005年(平成17)4月1日に南津軽郡の浪岡町と合併した。面積は824.56km²。人口は31万6830人(2004年3月時点の合計)。


地域と産業[編集]

南部と東部には奥羽山脈の一部をなす八甲田連峰と東岳山地がそびえ、西部は梵珠山(ぼんじゅさん。468m)をはじめとする津軽山地(→ 出羽山地)南部の丘陵地が占める。新城川、堤川(つつみがわ)などの中小河川が青森平野をながれ、陸奥湾西部の青森湾にそそぐ。市街地は青森湾にそって細長く広がる。


JRの東北本線(→ 東北線)、奥羽本線(→ 奥羽線)、津軽線のほか東北自動車道、青森自動車道と国道4号、7号、101号、103号、280号の起点にあたり、国道394号がとおる。青函トンネルによって北海道への玄関口ともなっている。南西部には青森空港があり、青森港からは函館や室蘭へフェリー、下北半島の脇野沢(わきのさわ:→ むつ市)、佐井へは高速旅客船が出ている。


稲作とリンゴの栽培が盛んで、とくにリンゴは日本有数の生産量をほこる。味噌や海産物の食品加工、津軽塗などの木材加工などの工業もみられる。県の経済の中心地として商業の発達がいちじるしく、産業の中心となっている。郊外では工業団地の造成や宅地化がすすみ、水田が減少している。水産業としてはホタテやナマコの養殖がおこなわれている。


歴史と観光[編集]

市街地南西の台地にある三内丸山遺跡は縄文時代の大集落跡で、巨大建造物跡や縄文時代の生活をかたるさまざまな遺物が大量に発見された(→ 縄文文化)。国の特別史跡で、復元建物や展示室、縄文時遊館などの施設があり、おとずれる人が多い。南部の小牧野遺跡は環状列石を中心とする縄文後期の遺跡。南西部には平安中期の集落で、周囲に土塁や堀をめぐらせた高屋敷館遺跡(たかやしきだていせき)がのこる。浪岡城跡は、北畠顕家の子孫といわれる戦国の豪族、北畠氏の拠点となった城跡で、いずれも国の史跡に指定されている。西部の梵珠山は、かつては山岳信仰の霊山だったが、今は県民の森となりハイキングコース、キャンプ場などが整備されている。


青森湊(みなと)は、1626年(寛永3)に弘前藩(津軽藩)2代藩主・津軽信枚(のぶひら)によって開かれ、弘前藩の外港として江戸へ米をはこぶ東廻り海運がはじまり、のちには蝦夷地との交易の中継地としてもさかえた。1871年(明治4)に県庁が弘前からうつり、県の政治、経済の中心地となる。73年からは北海道開拓使(→ 開拓使)によって北海道への定期航路が開始され、その後あいついで鉄道が開通して発展した。第2次世界大戦末期の1945年(昭和20)7月28日、空襲によって市街地のほとんどが焼失したが、戦後いちはやく復旧した。


「ねぶた」は東北三大夏祭のひとつで、多くの観光客がおとずれる。市内には棟方志功記念館、青森県近代文学館、青森市森林博物館、青森県立郷土館などの文化施設が多い。青森県近代文学館は太宰治や石坂洋次郎ら県出身の作家13人の資料を展示している。八甲田山のある南部は十和田八幡平国立公園の一角を占める。八甲田山中腹には酸ヶ湯温泉(すかゆおんせん)があり、市東北部の陸奥湾岸には浅虫温泉がある。







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