ウィキまとめは誰でも自由に編集できるWikiサービスです

 操作

近衛文麿

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 12:44




近衛文麿」の掲示板 / コメント

このえ ふみまろ

1891(明治24) ~ 1945(昭和20)
昭和政治家・公爵。近衛篤麿(アツマロ)の長男、秀麿の実兄。東京生れ。
一時東京帝国大学哲学科に学ぶ。京都帝国大学卒業。
1918(大正 7)西園寺公望(キンモチ)の随員としてベルサイユ講和会議に出席。1933(昭和 8)貴族院議長。
1937(昭和12)第1次組閣日中戦争の拡大・長期化を防ぎ得ず、1938.1.16(昭和13)近衛声明で和平交渉を打ち切る。汪兆銘(オウ・チョウメイ)の重慶脱出を機に退陣。
1940(昭和15)第2次組閣大政翼賛会を創立、日独伊三国同盟を締結、翌年日ソ中立条約調印。対ソ宣戦を主張する松岡洋右外相と対立して総辞職
1941(昭和16)第3次組閣衝突回避の日米交渉に失敗し退陣。
太平洋戦争戦後、東久邇内閣の国務相として憲法改正案の起草にあたったが、戦犯容疑者の指定を受け、拘引の直前に服毒自殺。
◎「あやまろ」とも呼ぶ。
第1次組閣、1937.6. 4(昭和12)~1939.1. 5(昭和14)。 拓務大臣:大谷尊由(ソンユウ)
第2次組閣、1940.7.22(昭和15)~1941.7.18(昭和16)。 外務大臣:松岡洋右
第3次組閣、1941.7.18(昭和16)~1941.10.18(昭和16)。 外務大臣:豊田貞次郎







「近衛文麿」関連コンテンツ読み込み中...


コメント

記事「近衛文麿」に関する感想・その他のコメントはこちらで。
記事の編集に関わる議論・質問は「近衛文麿」の掲示板でお願いします。
comments powered by Disqus