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表現の自由

言論の自由から転送)
・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 13:15




表現の自由」の掲示板 / コメント

ひょうげんのじゆう

憲法二一条は「集会結社及び出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。表現の自由、特に言論・出版の自由近代民主主義の中核的意味を持った重要な人権であり、一七八九年フランス人権宣言一一条は「思想および意見の自由な伝達は、人の最も貴重な権利の一つである」と宣言した。明治憲法二九条も「言論著作印行集会結社ノ自由」について定めたが、「法律ノ範囲内ニ於テ」とされ、これを根拠に数多く言論統制法が制定された。日本国憲法には「法律ノ範囲内」という文言はなく、更に、「検閲はこれをしてはならない」と定め、言論統制の手段たる「検閲」を無条件に禁止している。
日本国憲法二一条の規定の文言は「表現の自由」すなわち、思想や意見を外部に発表する自由を保障するとしているが、現代では、それら思想や意見を作り上げる前提となる事実や思想や意見を収集する自由も、極めて重視されるようになってきた。この点、ドイツ・ボン基本法(一九四九年)五条が、「一般的に近づくことのできる情報源から妨げられることなく知る自由を有する」と定めたり、世界人権宣言(一九四八年)一九条が「あらゆる手段により、かつ国境にかかわりなく情報および思想を求め、受け、かつ伝える自由を含む」と述べているのは、このような現代的要請にこたえるものといってよい。日本では、最高裁判所判例(例えば博多駅テレビフィルム提出命令事件・昭和四四・一一・二六)で、「報道機関の報道は、民主主義社会において国民国権に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の『知る権利』に奉仕するものである」と述べている。その他、国民の「知る権利」が特に問題となるのは、沖縄密約事件の際の「国家秘密」に関してであった(最判昭和五三・五・三一)。国民知る権利の要請は、国や自治体の行う公的行為に対しても向けられ、現在では「情報公開条例」の制定が多くの自治体においてみられている(神奈川県埼玉県東京都春日市等)。情報公開法条例は、<1>公的情報は公開が原則であること、<2>非公開は例外であり、具体的に定められること、<3>公開を拒否された場合にはそれについて不服を申し立てることができ、救済措置が保障されることを内容とすべきであるとされている。
知る権利」は、従来の言論・出版の対象=「受け手」にすぎなかった読者や視聴者や一般市民の「知る権利」を保障しようとするものであったが、このような読者・視聴者の立場を新聞社や放送局に対して主張するという傾向がみられるようになった。放送番組に視聴者が参加するとか、新聞に訂正記事の掲載を要求する「反論権」などがそれである。アメリカ合衆国では「メディアへのアクセス権」などとも呼ばれている。日本裁判では日本共産党とサンケイ新聞が争った事件(東高判昭和五五・九・三〇)で、共産党はサンケイ新聞意見広告に対して、反論文の無料掲載を求めた。巨大化するマス・メディアに対する一般読者・視聴者の権利とメディア編集の自由をどのように調和させるかという困難な問題を含んだ世界的な問題でもある。
表現の自由の問題の一つは、それを制限する場合に基準をどうするかである。従来は言論・思想の内容が「悪い傾向」を持っているからとの理由で発表を禁止したり処罰されたりした。このことは日本国憲法の下では許されない。しかし、日本国憲法の下でも「公共の福祉」という抽象的な理由で制限したりする場合があったが、現在ではより具体的な判断基準、「比較衡量」「言論の優越的地位」「より制限的でない他の選び得る手段」「明白かつ現在の危険」の基準などが挙げられている。
戦後裁判で、表現の自由の限界が問題となった例として、特に、<1>集団行進の自由、<2>性表現の自由、<3>報道の自由がある。
<1> 集団行進の自由に対しては、公安条例による制約が裁判上争われた。最高裁判所新潟県条例についての判断の中で、集団行動は生来自由であり一般的許可制によって事前に抑制するのは違憲であり、特定の場所・方法について合理的で明確な基準を設けて抑制するのは合憲であるとした(昭和二九・一一・二四判決)が、その後、東京都公安条例については、集団行進は一瞬にして暴徒と化すこともあるとして、最小限度の措置を事前に講じてもやむを得ないとして、合憲とした(昭和三五・七・二〇)。下級審の中には公安条例の運用について審査し、条件付許可処分を違憲とした判決東京地判昭和四二・五・一〇)や、条例を違憲とした判決京都地判昭和四二・二・二三)もある。
<2> 性表現が刑法一七五条にいう猥褻(わいせつ)文書に当たるか否かが、しばしば争われている。なかでもチャタレー事件(最判昭和三二・三・一三)、マルキ・ド・サド「悪徳の栄え」事件(最判昭和四四・一〇・一五)、四畳半襖の下張事件(最判昭和五五・一一・二八)などが著名である。最高裁判決の多数意見は猥褻文書なるためには「羞恥心を害すること、性欲の興奮・刺げきを来すこと、善良な性的道義観念に反することが要求される」としている。このような見解に対して、芸術性との関連や販売方法等をも考慮すべきであるとする反対意見もみられる(「悪徳の栄え」事件、田中〈二〉反対意見)。また、刑法一七五条自体を違憲であるとする学者や法律家の見解もある。また性表現については、青少年保護育成条例による規制が青少年にとどまらず一般人にまで及ぶ危険があるのではないかとする問題や、映倫規定等の業者の「自主規制」についても、公権力の事前検閲と同じ内容、あるいはそれ以上の規制になる場合の危険性も指摘されている。
<3> 報道の自由に関しては、取材の自由(知る権利)と国家秘密プライバシーの侵害との関連が問題となるが、新聞の報道や文芸作品によって名誉やプライバシーが侵害される事例がある。特にプライバシーの侵害が裁判として争われた事件には「宴のあと事件」(東京地判昭和三九・九・二八)、「エロス+虐殺事件」(東京高判昭和四五・四・一三)、「月刊ペン事件」(最判昭和五六・四・一六)等数多くある。最近では、犯罪報道の際に匿名とすべきであるとする主張がなされており論議を呼んでいる。







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