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荘園

・ このページの最終更新日時 2016年8月11日 (木) 14:21




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(1)(古代)⇒初期荘園

(2)中世には領域型の荘園が主流になる。この型の荘園は,典型的には在地領主所領寄進によって成立する( 寄進地系荘園)。公領郡司郷司は,自己の所領を含む公領を〈住郷〉などと称して院近臣などの貴族に寄進し,貴族らはそれをさらに院・天皇摂関家などに再寄進して荘園が立てられた。最初に寄進した在地領主下司げし,寄進を中継した貴族領家りょうけや預所あずかりどころ,再寄進をうけた院などは 本家などとなって荘園を重層的に支配・領有した。畿内およびその周辺では,下級貴族の開発地や寺僧の私領が,上級貴族寺院に寄進・施入されて荘園原型となることも多かった。個々の荘園の支配体制は, 検注とそれにもとづく一連の台帳作成によって固められた。荘園の内部は,大きく除田じょでんと定田じょうでんとに分かれる。除田は,荘園領主があらかじめ年貢収取の対象から除外した田地で,現地の寺社の給田や,下司公文などの 荘官給田などである。定田は,ふつういくつかの名みょうに分割・編成された。名は年貢ねんぐ・公事くじの徴収単位で,その名に編成された百姓のうち有力者が 名主みょうしゅに任命され,荘官監督のもとで課役の上納責任者とされた。年貢は米を中心として絹・糸・布・紙・鉄など多様であり,交換をへて納められるものもあった。公事万雑公事まんぞうくじともいわれたように年貢以上に多様な形態をとった。畿内荘園では,納めるべき農産物や器物が,荘園領主側の年中行事ごとにこと細かに定められていた。また領主の必要によって賦課されてくる人夫役公事の一種であった。こうして荘園は,重層する複数の所有者たちによって支配・領有されてきたが, 下地中分したじちゅうぶんや年貢請負などをつうじて錯綜した支配が整理され,一円的に支配されるものが増えてくる。畿内荘園では,地下人による年貢村請( 地下請じげうけ)もみられるようになり,近世村落原型が形成されていった。応仁の乱後,多くの荘園荘園領主の支配力の及ばないものとなってしまうが,畿内およびその周辺の荘園では,さらにあとまで存続したものが多い。荘園が名実ともになくなるのは,太閤検地石高制施行などの豊臣秀吉の一連の政策によってである。
荘園領主
荘園公領制
荘務権







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