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自由党

・ このページの最終更新日時 2016年10月10日 (月) 18:34




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じゆうとう

(1)自由民権期の政党日本最初の本格的政党として,1881.10.29 国会期成同盟を母体として結成された。指導部の中心は 愛国社系民権家で,これに国友会系の都市民権家が加わった。党首板垣退助東京に本部を置き,地方支部の結成や遊説活動を展開,機関紙自由新聞」を発行したが,82年6月集会条例改定により支部設置を禁止された。その後,板垣の洋行をめぐる内紛,立憲改進党との対立, 福島事件高田事件にみられる弾圧の強化などに直面し,松方デフレによる不況深刻化のなか, 群馬事件加波山事件など武力蜂起をめざす動きが党内に強まり,84.10.29弾圧強化と財政難を理由に解党。
(2)初期議会期の政党立憲自由党帝国議会開設を目前にした1890年,分裂していた旧自由党系勢力のなかで再結集の動きが強まり,5月河野広中らの 大同倶楽部,板垣退助らの 愛国公党,大井憲太郎らの自由党が合同して庚寅こういん倶楽部を結成。総選挙後の9.15これに九州同志会系が加わってを結成した。議会では第一党として立憲改進党とともに 民党を構成し, 民力休養,政費節減を掲げて政府と対抗した。91年3月板垣退助を総理に選出し自由党と改称。10月運営体制を代議士中心に改編した。93年2月の第4議会後は政府への接近傾向を強めた。98.6.22進歩党系と合同して 憲政党を結成。
(3)1950.3.1,吉田茂率いる 民主自由党民主党内連立派とが合同して結成された保守政党。初代総裁は吉田茂,勢力は衆議院議員288名,参議院議員60名。48年10月に政権に復帰した民自党は,翌49年1月の総選挙で単独過半数を確保したが,吉田首相政局安定のため〈保守連携〉を図り,第3次 吉田内閣には民主党から2名の議員を入閣させた。ここから民主党は連立派,野党派に分裂し,連立派が民自党に合流して自由党を形成した。その後55年11月の 保守合同により 自由民主党となる。民主党野党派は50年4月, 国民協同党などと国民民主党を結成した。
(4)97年末の 新進党解党後,98年1月小沢一郎らが結成した保守政党







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