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縄文時代

・ このページの最終更新日時 2016年12月6日 (火) 17:33




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じょうもんじだい

縄文土器を用いた時代。更新世末期から紀元前5世紀までの約1万年にわたり日本列島に続いた。土器をもとに,草創期,早期,前期,中期,後期,晩期の6期に大別される。草創期初頭は,九州島南部にも落葉広葉樹林帯の広がる氷期末の寒冷な時期で,海水面も現在より40mほど低かった。その後の急速な温暖化によって約6000年前の早期末には平均気温が現在より約2℃,海水面も3~5m高いヒプシサーマル(最温暖期)を迎え,その後寒冷化して現在に近い気候となる。

土器の出現は,食物を煮沸する調理法の確立と,その応用としての煮沸による堅果類等のアク抜きなどを通じて可食物の範囲を広げ,石皿磨石すりいし,凹石くぼみいしの普及によって植物質食料の安定的かつ大量の獲得・消費が可能となった。さらに弓矢猟犬の使用や陥し穴猟に示される狩猟技術の向上と,貝塚の形成に見る漁撈活動の活発化によって,環境の提供する多様な資源を採集・狩猟・漁撈の諸活動を通じて安定的かつ有効に利用するシステムが確立した。草創期の南九州に出現した定住集落は,早期のうちに列島各地に広がり,前・中期には関東中部地方を中心に環状集落が営まれる。この時期の西関東から中部地方など打製石斧の盛行する地域で何らかの植物の集中的栽培が行われた可能性があり,ヒョウタン,リョクトウ,シソ,エゴマ,イネなどの栽培植物の存在も知られているが,これは弥生時代以降の農耕とは異なり拡大再生産を経て階級社会の成立にいたるものではなく,縄文社会に顕著な階層差は見られない。通常,集落は十数人から数十人の規模で,部族の存在を暗示する土器圏が,時には広域土器圏を形成するなど,変化しながら列島内に連なっていた。その両端は曖昧で,前期の九州島の曾畑式土器圏と朝鮮半島櫛目文土器圏のように現在の国境を越えて類似度を強める場合も多く,縄文文化の一体性はさほど強固ではない。黒曜石,サヌカイト等の石器素材大珠,土器などが,時には縄文文化の領域を越えて広域的に交易された。後・晩期には墓地の大規模化が見られる。東日本を中心に環状列石を含む種々の配石遺構が多数構築され,石棒,石刀,石剣などの生産に関わらない石製品土版,岩版などの祭祀的,呪術的遺物が増加し,抜歯の風習が一般化する。人口の減少傾向も見られ,これを縄文文化の停滞とする見解もある。紀元前5世紀頃,朝鮮半島南部無文土器文化に属する人々の北部九州への移住によって,水稲耕作を基本とし階級社会の原理を有する農耕社会が伝わり,これを契機縄文社会が変質,崩壊して 弥生時代が始まる。
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