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社会党

・ このページの最終更新日時 2016年10月10日 (月) 18:33




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Hungarian Socialist Party

社会主義労働者党共産党)の後継政党、典型的なポスト共産主義勢力。一九九四年五月の選挙で三三%を得票して第一党となり、自由民主同盟とともに政府を組織した。党首G・ホルン。党員約四万。ハンガリーでは八九年の変動を主導したのは在野勢力というよりも共産党政府自身だった。共産党主流派改革派+中央派)は八九年一○月に社会党名前を改め、九○年三月の初の自由選挙に臨んだが、わずか一○・九%しか得票できず惨敗した。この選挙で大勝したのは、民主フォーラムである。民主フォーラム独立小地主党キリスト教民主人民党とともに中道保守派連合を形成し、四年間政権を担当した。しかし、フォーラム政党の例にもれず内部分裂に悩み、九三年一二月にはアンタル首相の死によって指導者を失った。また不況が深刻化して世論が遠のいた。社会党ネーメト元首相、ポジュガイ元国務相などの有力政治家が党外に去ったが、ホルン元外相を中心に旧共産党の中堅幹部をつなぎ止め、労組の支持を確保した。イデオロギー的には正統イデオロギー派が労働者党として分離したために行動の自由を得ている。多数政党制市場経済民営化EU・NATO加盟などの基本方向を受け入れており、ほとんど西欧諸国の社会民主党と変わりがなくなっている。
社会党自由民主同盟連立政府は九五年三月に厳しい緊縮財政を打ち出し、子だくさん家庭への補助打ち切り、大学授業料の導入、輸入関税の引上げ、通貨切下げなどを実施した。このため支持率が急降下し、九五年八月の世論調査では小地主党二二%、社会党一六%、自由民主同盟一四%などとなっている。







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