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百姓一揆

・ このページの最終更新日時 2016年8月11日 (木) 12:45




百姓一揆」の掲示板 / コメント

ひゃくしょういっき

江戸時代, 百姓らが集団を形成して起す反領主闘争。1590(天正18)から1877(明治10)の間で3700件余発生。百姓経営の成立なりたち・相続を求め,それを阻害する諸施策,具体的には年貢重課・諸課役負担・専売制などの排除を求め,領主に非合法的に訴願するもの。闘争形態としては 強訴ごうそ・ 逃散ちょうさん・ 打ちこわし・ 越訴おっそなどがある。初期には検地兵農分離政策により特権を否定された土豪的百姓が,配下の小百姓等を指揮し,領主との間で武装闘争を展開する 土豪一揆が頻発したが, 島原の乱を最後にこの形態は終焉する。17世紀中葉には,領主政策村役人の非違に抵抗するために,百姓が非合法集団を形成する動きが顕著に見られるようになり,幕府・諸藩はそれを 徒党ととうとして禁止した。この時期には,村役人が領民を代表して越訴したとされる 代表越訴型の一揆物語が伝えられているが,史料的には確認できないものが多い。17世紀末から領内の広範な人々が城下等へ強訴したり,他領へ逃散する 惣百姓一揆・全藩強訴が展開し,1749‐50(寛延2‐3)には最初のピークが形成される。その後18世紀後半には一揆の規模が拡大し,村役人豪商豪農に対する打ちこわしも数を増し,激しくなる。また藩領域を越えて一揆が展開する 広域闘争も1764(明和1)の 伝馬騒動を最初の事例として出現する。 天明の飢饉ききん時には都市の打ちこわしとともに全国各地で一揆が発生した。これに対し幕府徒党禁令を整備して弾圧体制を強化した。1830年代の 天保の飢饉期には,天明期以上に大規模な一揆が続いた。とくに 甲州騒動加茂一揆のような広域闘争が連続的に展開。40年代の天保改革期には,近江検地反対一揆( 三上山一揆)や 三方領知替反対一揆など幕府政策に反対する一揆が頻発し,改革政治に打撃を与えた。開港の経済変動農村の階層分化を促進し,没落した貧農・半プロレタリアート世直しを求め豪農豪商を打ちこわす 世直し一揆の増大を招く。とくに66(慶応2)と68‐69(明治1‐2)は世直し一揆が集中的に発生し,一揆の最大ピークを構成する。維新政府が矢継ぎ早に新政策を発表すると,この新政に反対する 地租改正反対一揆血税一揆等が各地で出現した。これらの一揆政府に対する強い拒否の姿勢を示し,竹槍で武装した一揆は,官吏を殺害する等の激しい行動を展開した。
一揆契状
→書籍版「日本史備要」近世一揆・打ちこわし年表参照







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