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田口卯吉

・ このページの最終更新日時 2016年8月11日 (木) 14:55




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たぐち うきち

1855(安政 2.4.29) ~ 1905.4.13(明治38)
明治時代経済学者・史論家・政治家。名は鉉、字は子玉、通称は卯吉、号は鼎軒(テイケン)。日本アダム・スミスと称される。木村鐙(トウ)の異父弟。佐藤一斎の外曾孫。父は大久保彦左衛門の末裔。江戸生れ。幕臣出身。
蘭学を修める。
1874(明治 7)大蔵省翻訳局上等生徒の業を卒え、大蔵省に出仕し翻訳に従事、経済学を研究。
1878(明治11)退官し、同年沼間守一(ヌマ・モリカズ)が創立した自由民権思想の見地に立つ政治結社嚶鳴社(オウメイシャ)発起人の一人となる。
1879.1.(明治12)「東京経済雑誌」を創刊。保護貿易を排するアダム・スミス自由主義経済を唱導政府経済政策を批判し、実業界にも活躍。
東京会議員になり、1894(明治27)以降は衆議院議員
日本開化小史』・『支那開化小史』などを著し、雑誌「史海」を発行、『国史大系』・『群書類従』など古典を復刻。『大日本人辞書』・『日本社会辞彙』を編纂。
福沢諭吉天野為之(タメユキ)とともに明治の三大経済学者と称される。
[[ウィキ:古







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