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横山大観

・ このページの最終更新日時 2016年12月6日 (火) 17:12




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よこやま たいかん

1868(明治元.9.18) ~ 1958.2.26(昭和33)
明治昭和前期の日本画家。本名は秀麿、旧姓は酒井、横山家は母方の親戚。水戸藩士の子。水戸生れ。
1889(明治22)東京美術学校(現:東京芸術大学)に入学し、第1回卒業生。1896(明治29)母校の図案科助教授。
1898(明治31)校長岡倉天心とともに辞職し、日本美術院創立に加わる。新しい画風に努めたが、朦朧(モウロウ)体と酷評される。1903(明治36)菱田春草とインド旅行。1904~1905(明治37~明治38)天心・春草と欧米を遊歴。
1907(明治40)文部省美術展覧会(文展)が創設され審査員、のち保守派と抗争して1914(大正 3)文展から除外される。同年、下村観山安田靫彦(ユキヒコ)らと日本美術院を再興。1931(昭和 6)帝室技芸員。1935(昭和10)帝国美術院会員。1937(昭和12)芸術会員、第1回文化勲章を受章。
1943(昭和18)日本美術国会が設立され、会長となり美術界統制の中心にさせられる。
代表作は『無我』・『生々流転』・『屈原』・『夜桜』・『瀟湘八景』など。
(2)日本美術国会会長となって……。
(15)43年日本美術国会会長となる.
(16)'43年,日本美術報告会が設立され,会長となった.







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