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東京

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 11:14




東京」の掲示板 / コメント


とうきょう
行政上,日本首都にあたる地方公共団体としての都。面積2,1872。人口1,177万。特別区(23区)と市町村で構成。都庁所在地新宿(しんじゅく)区。昔の武蔵(むさし)国の一部と伊豆(いず)国の一部。23特別区からなる都市都市人口を比較する場合などには区部人口(797万,1995年)を使用するのが普通。
〈自然〉島嶼(とうしょ)部を除く行政上の東京は,西部から東部にかけて,関東山地武蔵野(むさしの)の台地下町の低地に分けられる。武蔵野台地標高20~180mで,火山灰性の関東ローム層と呼ばれる赤土におおわれ,水が乏しい。このため江戸初期から用水路を開削し,「まいまいず」井戸などの深井戸を掘って,開発が進められた。下町の低地は,東京湾に注ぐ河川の下流部に形成された軟弱な沖積地および埋め立て地にあたり,ほとんどが4m以下の低湿地であった。その多くは水田として利用されたが,明治以降は工場が増加し,地下水のくみ上げから地盤沈下が進んで,ゼロメートル地帯が広がった。太平洋上の伊豆諸島・小笠原(おがさわら)群島・火山(かざん)列島はいずれも火山性の島々で,気候は温暖,降水量が多い。
〈産業〉京浜(けいひん)工業地帯一角をなすが,就業人口の70%余りは第3次産業従事者で,第2次産業従事者は30%に足らず,第1次産業従事者にいたっては1%にも満たない。大企業都市銀行証券会社などの本社・本店が集中して日本経済の中枢を形成。また各種卸売業者が部門別に集中して,一大商業心地となっている。
〈歴史〉1457年(長禄1),江戸氏の館(やかた)跡に江戸城を築いた太田道灌(おおたどうかん)が江戸の開祖といわれるが,江戸の町が本格的な発展を見せるのは,1590年(天正18)の徳川家康(いえやす)の入府以降のことである。江戸幕府封建制度維持のために参勤交代などの中央集権政策を推進した結果,「江戸八百八町」には多数の武士階級や商人職人が集中し,最盛期には人口が100万人を超える世界最大都市となった。江戸城開城後の1868年(慶応4)7月に江戸は「東京」と改称され,同年(明治1)10月に江戸城皇居と決定,以来東京日本首都となった。1871年の廃藩置県で新たに設置された東京府は,ほぼ現在の区部にあたる。1878年伊豆諸島静岡県から,1880年小笠原諸島内務省から移管。1889年の市制特例で15区からなる東京市が誕生。1893年三多摩(さんたま)地方が神奈川県から移管され,ほぼ現在の都域が定まった。1872年2月の大火後,府知事由利公正(ゆりきみまさ)はイギリス人技師ウォーターズの指導で,銀座に2階建てれんが街を建設。1890年に丸の内(まるのうち)の払い下げを受けた三菱(みつびし)は,赤れんが造りのビル街を建設した。1923年大正12)の関東大震災後は郊外の宅地化が進んで,職場住居を分離させ,都心と郊外を結ぶ交通結節点である新宿渋谷(しぶや)・池袋(いけぶくろ)などが副都心を形成。また東京湾岸には工業用地の造成が進められた。1932年昭和7)年には20区が編入されて35区となり,1943年東京府と東京市を合体して都制をしいた。1947年22区(同年中に23区へ)に整理・統合されて,各区は特別地方公共団体特別区となり,都は公選の都知事をもつ普通地方公共団体となった。第二次世界大戦中にアメリカ軍に占領された小笠原諸島は,1952年同国の施政権下に置かれたが,1968年に返還された。また,1956年以後制定された「首都圏整備法」などの一連の法律に基づき,計画的な市街地の整備・再開発や緑地保全が進められている。
〈文化〉多数の大学・研究所図書館博物館美術館劇場新聞社・放送局などが集中し,現代日本の文化の中心地をなす一方,下町を中心に伝統文化を守っている。







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