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日本語

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 09:58




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にほんご

日本列島に住む日本民族によって話される言語。日本でだけ用いられ,比較言語学的に孤立している。言語学上,内地方言と琉球方言とに二大別される。固有の文字を持たなかった日本語の歴史は中国魏志倭人伝引かれる3世紀のいくつかの日本語らしい単語に始まる。その時代相を記述できるのは8世紀,奈良時代の言語からである。当時の音韻は,1母音,または1子音+1母音から成る単純な開音節言語で,拗音撥音促音はなかった。8世紀中頃以前には, 上代特殊仮名遣いとよばれる後代にはない区別を持った音節があり,音節数は87(古事記では88)であった。文字は漢字のみで,日本語は, 万葉仮名または字訓で示された。文法の機構は現代と大筋において同じである。国語資料は,主として歌で,口頭語,散文はなく,資料の地域は大和が中心で若干の東国語が残る程度である。平安時代には,漢字から平仮名片仮名が作り出され,日本語の文字表現が容易になり,散文も書かれるようになる。音韻については,特殊仮名遣いの区別が失われ(〈こ〉の甲乙,ア・ヤ行の〈え〉の別はしばらく残存した),仮名文字47字が示すように音節数は減ったが,新たに漢字音や,音便の発生により拗音,撥音,促音も加わった。10世紀末までは仮名表記はほぼ表音的に行なわれており混乱はなかったが,11世紀初め頃から〈は〉行の仮名と〈わ〉行の仮名の混乱が語中・語尾で起り,これは鎌倉初期にかけて〈あ〉行にも及び,〈は・わ〉〈ひ・ゐ・い〉〈ふ・う〉〈へ・ゑ・え〉〈ほ・を・お〉の仮名遣いに誤りが見られるようになる。また,鎌倉時代には,和歌体・和文体・漢文訓読体・記録体などの文体の差が生じた。平仮名散文の言葉は,話し言葉とほぼ同じであったが,平安末期には言文二途となり,書き言葉の発生があった。鎌倉時代は残されている記録としては書き言葉が主となり,和漢混交体という,和文体と漢文訓読体とが混じった表現も工夫され,軍記物語の文体として用いられた。室町時代には漢籍の講義速記録〈抄物しょうもの〉が作られ,時代の話し言葉が記されている。狂言は口頭語による演劇で,当時の話し言葉を知ることができる。16世紀末には,ポルトガルから来たイエズス会宣教師によるキリシタン資料とよばれる一群の文献があり,日本語ローマ字書きにより当時の日本語の音を知ることができる。文字による言語表現は,古代では一部の貴族官人僧侶などに限られていたが,時代とともに識字層も増え,中世には地方の庶民の文書も現れる。江戸時代は文化の中心が次第に京・大坂から江戸に移り,18世紀中頃からは江戸語の資料が多くなる。都市住人も文化の担い手としてその言語を残した。また,幕藩体制の中で各地の方言についても意識されるようになった。明治には中央集権とともに言語の面でも標準語が求められ,国定教科書による言葉の共通化が進行した。







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