ウィキまとめは誰でも自由に編集できるWikiサービスです

 操作

日本

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 11:58




日本」の掲示板 / コメント

にっぽん

アジアのほぼ東端,北太平洋西部の日本列島を中心とする島国。にほん。対外的にはNipponが多く用いられる。古名やまと(倭・大和)。美称「日の本の国」「瑞穂(みずほ)の国」。▽外国語のジャパン(Japan),ジャポン(Japon(フランス)),ヤーパン(Japan(ドイツ)),ハポン(Japn(スペイン))などは,漢音ヤーペンのポルトガル語写音,または呉音ヤトパンのオランダ語写音に基づくとされる。
〈概要〉日本国Japan面積37.78万2(北方領土竹島(たけしま)を除くと37.28万2)。人口1億2,586万(1996)。首都東京。住民は日本人99%。言語は日本語宗教仏教神道が大部分を占める。政体天皇を象徴とする議会制民主主義の国。元首は明文規定がないが,対外的には天皇通貨単位円(yen)。
〈自然〉ユーラシア大陸の東縁に沿って,北東から南西へ連なる北海道本州四国九州・沖縄島などの島々からなる。構成島数は,岸線0.1以上のものだけでも6,852島,海岸延長は3万3,889に達する。険しい山地火山が多く,狭い平野盆地が散在。川は急流で短く,海岸線は複雑。周辺は南から暖流黒潮日本海流)・対馬(つしま)海流,北から寒流親潮千島(ちしま)海流)・リマン海流が流れている。南北に細長いため,気候帯冷帯温帯暖帯亜熱帯にまたがり,沖ノ鳥島(おきのとりしま)は熱帯に属する。四季の区別は明瞭(めいりょう)であるが,北と南,太平洋側と日本海側など,地域による気候の違いが大きい。地震風水害などの自然災害が多いが,反面,緑が豊かで,風光明媚(めいび)な山地海岸など景勝地に富む。
〈産業〉国土が狭いわりに,地下資源の種類が多い。しかし,自給できるものは石灰石ぐらいで,他の資源のほとんどは輸入に依存している。なかでも石炭石油鉄鉱石は,世界でもトップ クラスの輸入国である。第二次世界大戦後,重化学工業が著しく発展し,世界有数の工業国となった。鉄鋼自動車電気機器・合成繊維などは,一時は世界の工業をリードするに至った。しかし最近は,アメリカ合衆国・EU諸国の巻き返し,韓国(かんこく)・台湾香港(ホンコン)・ASEAN諸国などの追い上げを受けている。ハイテク産業分野でも,旧来の硬直的な種々の規制や,官庁縄張り争いが発展を妨げている例が目立つようになった。また,工場の海外移転が進み,工業空洞化が進展している。一方,生産性の低さ,労働力の低下などの構造的な問題をかかえている農業は,安い輸入農産物との競争に苦しんでいる。漁業も,200カイリ時代にはいってから後退を続けており,林業も,生産性の低さ,林業農家の零細性から弱体化し,山村過疎化の大きな原因となった。
〈歴史〉[原始社会日本列島には約50万年前の旧石器が発見されているが,くわしいことは分からない。紀元前1万年のころから,縄目の模様をつけた縄文土器を使う人たちが住んでいた。この縄文時代について従来は,「小集団細々狩猟・採取生活をしていた時代」とみるのが定説であった。しかし,1992年(平成4)からの青森市三内丸山(さんないまるやま)遺跡発掘調査で,竪穴(たてあな)住居の巨大集落跡,巨大な木柱,漆器土偶などが出土し,定住が行われていた地域もあることが明らかになった。
古代社会]BC4世紀ごろ,大陸から金属器と本格的な稲作の技術が輸入され,社会に大きな変化が起こった。農業の進展につれて貧富の差が生じ,政治権力をもつ者が現れ,しだいに北部九州をはじめ各地に多くの小国家が形成された。この時代になると,簡素な文様弥生(やよい)土器が使用されたので,弥生時代と呼ぶ。やがて大和(やまと)政権が近畿(きんき)地方を中心とする主要部を統一。その首長天皇家の祖先で,時代はAD4世紀の中葉と思われる。大和政権は7世紀に大化の改新を行い,唐(とう)から学んだ中国風の律令(りつりょう)を整備して,新しい国家体制をしいた。5世紀以来,政府大陸の文化をさかんに輸入。特に8世紀にかけて仏教律令国家を守る宗教として発展し,寺院仏像仏画などの仏教文化が栄えた。しかし,10世紀前後から,律令政治がしだいに崩れ,藤原(ふじわら)氏を中心とする貴族が政権を独占した。文化も日本的な国風文化が広まった。
中世社会平安時代貴族や社寺は,荘園(しょうえん)と称する私有地を基礎としていたが,農村土地を直接管理していた豪族や有力農民の間から,武士と称する新勢力が現れ,11世紀後半には中央に進出して,貴族や寺社の支配権を脅かすようになった。12世紀末源頼朝(よりとも)が鎌倉かまくら幕府を開き,京都の朝廷に対立する武家政治を始めた。武士荘園における貴族や寺社の特権を侵して,自分たちの力を拡大し,武士を中心とする封建社会を形成していった。13世紀後半,モンゴル軍の侵入(元寇(げんこう))があり,武士の力でこれを退けたが,そのための経済的負担が原因となって,鎌倉幕府の勢力は衰退した。14世紀に一時朝廷が政権を握って「建武(けんむ)の新政」となったが,たちまち崩れて南北朝の内乱となり,その渦中で足利尊氏(あしかがたかうじ)が京都幕府を開いた。この室町幕府は,諸国の有力な守護の力を集めて成立したもので,幕府の統制力は弱かった。15世紀後半にはいると,戦国大名が全国各地に群立する戦国の世となった。戦国大名はその地域の土地・住民を支配する強力な独立政権となった。
近世社会戦国時代群雄割拠の状態は,16世紀に現れた織田信長(のぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)・徳川家康(いえやす)の3人によって,しだいに統一された。家康によって開かれた江戸幕府が支配した封建社会が,およそ260年にわたって固定した。幕府は,諸大名所領(藩)に対する支配権を認めながらも,反面これをきびしく統制し,中央政府地位の安定化をはかるとともに,武士庶民(農民・町人),庶民賤民(せんみん)の間の身分の区別を厳格に固定した。すでに戦国時代から西洋との交流がみられたが,幕府キリシタン禁止という名目で鎖国を行い,オランダ中国朝鮮を除いて,海外との通交を禁止した。長期にわたる太平の時世のもとで生産力が向上し,商品流通がめざましく進展すると,町人の富の力が高められるとともに,武士も農民も商品経済のなかに巻き込まれた。武士の生活は圧迫され,封建社会体制の矛盾が表面化した。18世紀初めの享保(きょうほう)の改革から19世紀中葉の天保(てんぽう)の改革に至る政治改革の試みは,すべてこの矛盾を切り抜けようとするものであったが,時代のすう勢を逆転させることはできず,矛盾のしわ寄せを受けた農民や都市の下層民は百姓一揆(いっき)・打ちこわしを起こして,封建社会を内部から揺り動かした。
近代社会]19世紀にはいると,欧米諸国から日本開国を要求する圧力が増大。1854年アメリカ合衆国の要求に屈した幕府開国踏み切ると,幕藩体制はその矛盾を露呈して大きく動揺。尊王攘夷(そんのうじょうい)を唱える志士たちの活動や百姓一揆の激発するなかで幕府は倒れ,薩摩(さつま)・長州藩を中心とする倒幕派が政権を握り,明治維新が開始された。明治政府大名領の没収版籍奉還廃藩置県),身分秩序の廃止,土地所有権の設定などの諸改革を行い,また鉄道通信事業などの近代化政策を推進した。明治10年代には民間から政治的自由と経済的向上を要求して,自由民権運動が高揚した。政府は,これらの運動をおさえながら一方では政治体制近代化をはかり,1889年(明治22)には大日本帝国憲法明治憲法)を制定し,天皇制を確立した。それ以後,内にあっては,富国強兵殖産興業による資本主義経済の育成を強力に進め,外にあっては朝鮮半島への進出を試みた。こうした動きは日清(にっしん)戦争日露戦争を経て,ついには朝鮮半島日本領とするまでになった(1910)。さらに第一次世界大戦に参加して強国の地位を確保,日本資本主義はほぼ確立するに至った。しかし,こうした成長のうらには農村の遅れが目立ち,前近代的な形態を温存しながら近代化が推進された。第一次世界大戦後は,世界的な民主主義思潮の影響を大きく受け,いわゆる大正デモクラシーの時代がもたらされた。また1924年大正13)以後,衆議院に多数を占める政党内閣を組織する政党政治が一時実現し,普通選挙制度施行されたが,同時に,治安維持法などで反体制運動を弾圧する諸政策が強行された。1931年昭和6)にひき起こされた満州事変をきっかけとして,軍国主義が急速に台頭し,政党政治を弾圧しつつ,ドイツ・イタリアと同盟を結んで,対外侵略戦争を行った。1937年7月中国との全面戦争を開始した日本は,1941年12月太平洋戦争に突入。ドイツ・イタリアとともにアメリカイギリスその他多数の国々(連合国)を敵として戦った(第二次世界大戦)が,1945年8月に無条件降伏をした。
現代社会]戦後日本は,国民主権戦争放棄などを掲げた日本国憲法の制定,男女平等民法独占禁止法労働基準法の制定,農地改革財閥解体など,民主的諸改革によって再出発した。同時に,生産復興のため,石炭鉄鋼を超重点部門として大量の国家資金を投入する傾斜生産方式が実施された。高進を続けるインフレは,1949年(昭和24)のドッジ=ラインによって終息したが,激しいデフレに襲われた。19501953年の朝鮮戦争は,アメリカ政府の対日政策を変化させ,警察予備隊(のち保安隊自衛隊)の創設,レッド パージをひき起こしたが,一方では特需ブームによって不況からの脱出,経済復興が進展した。政治的には,片山(かたやま)内閣社会党19471948)時代を除いて,保守政権(自由党民主党自由民主党)が続いた。1951サンフランシスコ平和条約によって独立回復。同時に調印された日米安全保障条約によって,日本は西側陣営に組み込まれた。1956ソ連と国交回復し,国連に加盟。1960年代は高度経済成長の時代で,重化学工業の発展により,日本を世界有数の工業国におし上げるとともに,農村から都市への人口移動石炭から石油へのエネルギー転換貿易資本の自由化が進んだ。一方では自然環境の破壊が進み,公害を深刻化した。1972沖縄返還日中国交正常化が実現。19731979年の2度の石油危機オイルショック)は,一次エネルギー石油依存体質からの変換を促すこととなり,天然ガス原子力の利用拡大が進んだ。また,1970年代からアメリカ合衆国との貿易摩擦が激化し,1990年代には日本の経済構造自体が両国間の問題とされるようになった。19861991年(平成3)の「バブル経済の時代」は,土地を中心とする資産価値の高騰が続いた時期で,不動産証券美術品などへの過剰・乱脈な投融資がまん延。バブル崩壊後は経済が沈滞し,公的規制の緩和など,経済の構造改革の必要性がさけばれるようになった。1993年8月に「非自民」連立政権が誕生して以後は,「政界再編」の名のもとに政党の離合集散,連立政権の交代が繰り返されている。







「日本」関連コンテンツ読み込み中...


コメント

記事「日本」に関する感想・その他のコメントはこちらで。
記事の編集に関わる議論・質問は「日本」の掲示板でお願いします。
comments powered by Disqus