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戦国大名

・ このページの最終更新日時 2015年11月19日 (木) 08:35




戦国大名」の掲示板 / コメント

せんごくだいみょう

応仁の乱以後の戦国争乱のなかで国ないし郡規模の領域を分国(領国)として支配した地域政権の主宰者。細川政元将軍廃立( 明応の政変)や北条早雲の伊豆侵攻が戦国大名登場を象徴する事件である。戦国大名系譜をみると,出自守護(武田・今川・六角・大内・大友・島津),守護代(上杉・尼子・朝倉・三好),国人(伊達松平織田・浅井・毛利・長宗我部),およびそれらの家臣(北条・斎藤)と多様である。下剋上の世を反映して守護から生き残った割合は少なく,守護家出身でも家督争いや 国人こくじんとの戦争を経て支配権を掌握した者が多く,戦争のなかから形成されてきたのが戦国大名である。かれらは,室町幕府から諸国の守護職を命じられた室町時代と異なり,〈自分の力量をもって国の法度を申付け〉国を治めている( 今川仮名目録追加)という意識をもっていた。
登場の背景には,広範に成立してきた 加地子かじしの収取権を集積した百姓が侍身分を自称し(地侍),旧来の身分秩序を崩し,また幕府守護支配権が衰えて領主階級の土地所有秩序が崩れ,他領への侵略が横行していた社会状況があり,戦争を戦いぬくなかで敵の所領没収し,味方の武士所領の宛行・安堵をすることで土地支配権を掌握し家臣団を編成していった。地侍加地子得分や新恩を給与して積極的に家臣に取立て,かれらを寄子よりことし,一門譜代などの重臣を寄親よりおやとしてその指揮下におく 寄親・寄子制をとって機動的な軍事編成を行った。家臣の所領貫高かんだかで統一的に把握し,それに比例して軍役をかけた。貫高を確定するために検地(指出さしだし検地)を行い,それに基づいて百姓年貢高も定めるという貫高制支配を行なった。検地により,加地子を把握して膨脹する家臣団を維持する経済的基盤とするなど,年貢増徴,農民支配強化,兵と農の身分編成を実現し,さらに家臣の要求にこたえて領土拡張戦を継続するとともに,領国と領民を侵略から守り,経済活動を保障する政策や法による支配を打出して公権力としての正当性を獲得した。城下町建設・田畠開発・鉱山開発などはそうした政策の一環であり,そうして権力基盤を拡大した大名は,領民を職能に応じて身分編成し, 役やく(兵は軍役,百姓〈農〉は百姓役,商人商人役,職人細工役)を負担させるという,身分と役負担の体系を作りだした。これらの政策豊臣政権政策に影響を与えた。







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