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愛知県

・ このページの最終更新日時 2015年5月20日 (水) 16:02



愛知県」の掲示板 / コメント

あいちけん 中部地方の南西部、伊勢湾の東岸にある県。北西部には濃尾平野が広がり、南部は知多・渥美(あつみ)両半島が三河湾をいだく。名古屋市を中心に自動車製造、機械、電機、鉄鋼などの工業が発達、日本一の製造品出荷額をほこる。温暖な気候にめぐまれ農業生産も活発で、とくに養鶏や蔬菜(そさい)、花卉(かき)、植木栽培などの先進地として知られる。県庁所在地は名古屋市。面積は5163km²。706万2762人(2005年)。

地形と景観[編集]

県の北東部は、木曽山脈の南縁部をなす準平原状の美濃三河高原が占め、矢作川、豊川などが南西にながれ、下流の岡崎平野、豊橋平野をへて三河湾にそそぐ。知多湾と渥美湾からなる三河湾をいだいて西に知多半島、南に渥美半島がそれぞれ約40kmのびる。岡崎平野の北西側には低い尾張丘陵をへだてて濃尾平野の沖積地が広がる。木曽川左岸の犬山市付近を扇形の頂点とする犬山扇状地は、南は庄内川流域に達し、南西は木曽川下流の東岸にいたる。木曽川下流の愛知県側の堤防は、江戸時代に尾張藩によってつくられた「御囲堤(おかこいづつみ)」で、対岸の岐阜県側の輪中とはことなった景観をみせる。近世以降、伊勢湾岸には広大な干拓地ができた。

気候と植生[編集]

名古屋市の年平均気温は15.4°C、年降水量は1565mm(1971~2000年)で、東京区部と比較すると夏季の雨量がやや多く、冬季の気温がやや低い。県全体としては太平洋岸気候区の東海型に属し、冬季にも晴天日数が多い。ただし、濃尾平野一帯と名古屋市付近では冬に伊吹おろし(→ 颪)が強く、ひえこむ。また敦賀湾(つるがわん)から伊勢湾地溝帯をぬけて日本海から北西季節風がふきこんで、かなりの降雪をみることがある。伊勢湾奥に位置する名古屋市付近では、外洋からはなれているため、夏には相当の高温を記録することもある。美濃三河高原では冬の積雪も夏の降雨も平野部よりは多い。遠州灘や伊勢湾に面した渥美半島・知多半島の沿岸は冬も温暖で、ウバメガシなどの暖地性常緑広葉樹がしげる。

地域と住民[編集]

人口は706万2762人(2005年)、人口密度は1368人/km²(2005年)で、増加傾向がつづいている。地域的にみると、名古屋市周辺の各市町では依然として人口増がつづいており、とくに日進市などは1995~2000年の5年間に16.4%の増加を記録、人口急増地帯となっている。三河高原の山間地では人口減がつづくが、名古屋市中心部でもいわゆるドーナツ化現象で人口減がめだつ。

県全体の人口密度は全国第5位、65歳以上の老年人口の比率15.0%(2001年)は全国で5番目に低い。

産業[編集]

肥沃(ひよく)な耕地と気候、立地条件にめぐまれ、はやくから蔬菜や花卉栽培、養鶏などの先進地となった。キャベツ、ハクサイ、トマト、タマネギなどの生産は全国の上位を占め、全国3位の養鶏をはじめ畜産も依然として盛んである。渥美半島の電照ギクやカーネーションなどの花卉(かき)、植木、観葉植物の栽培も全国屈指の生産額をほこっている。

美濃三河高原にはスギの人工林が広がるが、林業は構造不況になやむ。漁業では、矢作川河口部を中心とするウナギ養殖が全国一の産量をほこる。三河湾沿岸ほかのノリ養殖も全国第6位の産量がある(2000年)。ほかに木曽川東岸の弥富町ではキンギョの養殖をおこなう。

工業は中京工業地帯の中枢を占め、都道府県別の製造品出荷額では全国第1位をほこる。輸送用機器、機械、鉄鋼、繊維、家具、プラスチック、ゴム、窯業などの工業分野では全国一、ほかの工業分野でも上位を占める。西部の織物業、瀬戸市を中心にした製陶、窯業は近世から発展していたが、第2次世界大戦後は伊勢湾、三河湾沿岸での重化学工業化がめざましい。各種交通機関の便にもめぐまれ、近年は内陸部での先端企業の進出も顕著である。

観光と民俗[編集]

名古屋市[編集]

名古屋市は年間2000万人以上の観光客をあつめる観光都市で、10月中旬の金~日曜日に久屋大通公園(ひさやおおどおりこうえん)を中心にくり広げられる名古屋まつりは、多くの市民や観光客でにぎわう。市街中心部にある国指定特別史跡の名古屋城跡、ヤマトタケルの東征神話に登場する古社の熱田神宮、東山公園、名古屋港近くに新設された水族館などの市内観光も盛ん。熱田神宮には1月7日の世様神事(よだめししんじ)、同15日の「おまとう」とよばれる歩射神事、5月4日の「おほほ祭」とよばれる酔笑人神事(えようどしんじ)など、古式ゆかしい数々の神事・祭礼がつたわり、多くの参拝客をあつめる。

犬山市・三河地方など[編集]

県北部の犬山市は、木曽川にのぞむ小丘に国宝の犬山城がそびえる景勝の地で、鵜飼と日本ラインの川下りで名高い。明治村のほか、日本モンキーパークやリトルワールドなどの観光施設が整備され、東海地方屈指の観光地となった。

南部の三河湾国定公園には、渥美半島先端の伊良湖岬や蒲郡海岸、篠島などの景勝がふくまれる。北部の美濃三河高原の主要部は、愛知高原国定公園に指定され、コノハズクの鳴き声で知られる古刹(こさつ)の鳳来寺、渓谷美の鳳来峡や香嵐渓(こうらんけい)、史跡の長篠城(ながしのじょう)跡などがある。長野と静岡の県境一帯は天竜奥三河国定公園、日本ラインなどがある木曽川中流域は飛騨木曽川国定公園にふくまれる。

歴史[編集]

古代[編集]

縄文時代の遺跡は県内約400カ所にもおよび、吉胡貝塚(よしごかいづか)からは人骨も多く出土している。弥生時代には農耕生活を中心とする集落があり、後期の遺跡からは銅鐸や、宮廷式(パレススタイル)とよばれる土器などが発見されている。古墳も多く、東海地方最大の前方後円墳である断夫山古墳(だんぷさんこふん)は、大和政権と深い関係にあった国造尾張氏のものとされる。律令制下では、境川をはさんで西に尾張国、東に三河国がおかれ、現在の愛知県に相当する地域基盤が形成された。愛知県の代表的な産業である瀬戸焼の原型にあたる陶器生産は、8~9世紀にすでにおこなわれていた。

中世・近世[編集]

尾張は東国と京都の勢力圏のちょうど中間にあり、古くから軍事的な要衝だった。戦国期には、尾張国清州を本拠とする織田信長、愛智郡中村(現、名古屋市)に豊臣秀吉、三河国松平に徳川家康がでた。織田氏は室町後期に尾張の守護職だった斯波氏(しばし)の家臣として守護代をつとめ、信長の代には尾張平野の豊かな農業生産や、商業都市熱田の財力を背景に戦国大名化した。長篠の戦以後の数々の合戦では、鉄砲をとりいれるなど新しい戦法を駆使して国家の統一をはかった。統一事業を目前に信長は本能寺で死亡するが、そのあとを秀吉がうけついで統一をはたした。

関ヶ原の戦で豊臣氏をやぶった徳川家康は、江戸に幕府を創設した。政治の中心が江戸にうつったのちも、家康はその子義直を尾張藩62万石の藩主において御三家のひとつとした。三河には譜代大名による小藩をいくつかおき、天領をくわえて分割統治をとった。17~18世紀には、木曽川河口付近の大規模な干拓で新田を開発した。三河国では18世紀に綿の栽培が盛んとなった。綿作は綿織物産業を発展させ、三河木綿として知られた江戸後期にはマニュファクチュアになっていた。こうしてできた余剰生産物は、有力商人によって市で売られ、一宮のような商業都市が周辺に誕生した。

1836年(天保7)天保の飢饉の最中におきた三河加茂一揆(鴨の騒立)は、三河地方最大の百姓一揆だった。同じころ、三河の小藩・田原藩の家老渡辺崋山は領民を国の本として善政をしき、一揆を未然にふせいでいる。しかし、洋学に傾倒し幕政を批判したことから39年蛮社の獄にあった。

近代[編集]

明治維新後の廃藩置県で、尾張・三河は12県にわけられ、1872年(明治5)に愛知県となった。古くから農業地として豊かさをほこった愛知県は、米、ムギとともに、養鶏、果樹栽培など多角経営を成功させ、「日本のデンマーク」とまで称されるようになった。明治政府は綿織物の伝統の上に直営の紡績工場をつくり、輸入の綿糸をもちいるようになったため、県下の綿栽培は壊滅した。その後、工業化がすすみ、工業生産額は全国1位にまでになった。これには、自動織機の発明・改良につくした豊田佐吉や、全国からあつまった女子労働者の貢献が大きい。

日本が戦時体制にはいり、軍需工業が発展してゆく中で、愛知県は国内第1の航空機生産地になった。第2次世界大戦中の空襲や敗戦によって大きな打撃をうけたが、復興は急速にすすみ、自動車工業などを中心とする重工業が発達した。→ 自動車産業