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弥生時代

・ このページの最終更新日時 2016年12月6日 (火) 17:50




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やよいじだい

東京都文京区弥生町で発見されたことによりその名をもつ 弥生土器を用いた弥生文化の時代。縄文時代に続き,古墳時代の前にあたる紀元前5世紀から紀元3世紀までの600~700年間をさす。中国大陸,朝鮮半島との交渉が活発化した結果,わが国で水田稲作農業が定着して食料生産が開始され,青銅製と鉄製の金属器の使用や,ガラスの製作も始まった。わが国での初期鉄器時代と位置づけてもよい。一方,石器土器の製作など縄文時代から受継いだ要素も根強く残り,とくに東日本で顕著にみられる。また, 方形周溝墓銅鐸のように,弥生時代になって固有に発達したものも多い。
人類学的研究では,弥生文化の成立に際して,かなりの数の人々が朝鮮半島南部から北部九州や西日本の一部へ渡来し,在来の縄文人と次第に混血することによって生れた大陸弥生人に負うところが大であったとみる。他方,西北九州や南九州,そして東日本では縄文人が次第に弥生文化を受入れて,徐々に形質的に変化した縄文弥生人がその担い手であったとしている。
弥生時代日本列島は,水稲農耕を受入れた九州・四国本州と,その痕跡が未だにみられない後期貝塚文化の沖縄, 続縄文文化北海道という大きな3地域に分れる。
弥生時代農業生産に基盤をおいた初期農耕社会である。 環濠集落高地性集落といった軍事的緊張にそなえた防御的集落が登場し,集団間で,耕地の水利権や領有権をめぐって武力対決があったことが,石製武器の存在や,その武器の突き刺さった戦士の墓の存在からも明らかである。このなかで集団を統率する首長層の出現は,共同墓地の一画に輸入品の青銅武器副葬するなど特別の扱いをうけた首長墓―王墓が営まれていることでわかる。
魏志倭人伝によれば,2世紀末には〈倭国乱る〉,後漢書では〈倭国大いに乱る〉と記され,列島内で戦乱があり,邪馬台国女王 卑弥呼ひみこを継いで,壱与いよ( 台与とよ)が王になり,戦乱が治まったという。







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