ウィキまとめは誰でも自由に編集できるWikiサービスです

 操作

室町幕府

・ このページの最終更新日時 2016年12月6日 (火) 17:32




室町幕府」の掲示板 / コメント

むろまちばくふ

中世後期,足利氏将軍京都を本拠とした武家政権。室町とは,3代義満が北小路室町に造営した 室町殿に由来する。1336(建武3)から1573(天正1)義昭の京都退出まで存立した。およそ3期に分かれ,前期は将軍尊氏・義詮から義満前半期の南北朝期,中期は義満後半・義持・義教・義政・義尚らの狭義の室町期,後期は明応の政変以降,義稙・義澄・義晴・義輝・義昭らの戦国期となる。前期は,尊氏・直義の抗争を経て独自の体制を形成し,後期には,諸勢力の抗争が将軍職をめぐる対立と連動するなか,将軍は独自の権力を保持して,幕府畿内権力という性格を強めていく。
最盛期の中期の特徴として,第一に,幕閣中枢の制度は,管領かんれいが独自性を保ちつつ将軍に協力する体制に集約される。将軍管領の関係,つまり首長とその補佐という構成は,政所まんどころや侍所さむらいどころでも,執事政所代のように長官とその被官という形で存在し,事務官僚というべき奉行人がこれらを支えた。第二に,地方統治は, 奉公衆など直勤者の直接統治と, 守護代官とする各地域の統制という形を取る。守護幕府の命令の伝達者として,前代よりも重要性を増し,有力守護政策決定に関与するなど幕政を支えた。軍事力奉公衆のほか守護の率いる各国軍に支えられた。経済の一つの柱たるべき地頭御家人役の徴収は,直勤者の直納守護の請負で行われ,守護への臨時課役(守護出銭)はこの延長線上に位置づけられよう。もう一つの柱の直轄領は,費目ごとに設定された所領( 御料所)が多くの場合直勤者によって経営された。なお,東国鎌倉府分国とされ,鎌倉府対策は中期の最重要課題となった。第三に,京都という空間を掌握したこと。検非違使等の職権吸収して,政所侍所・地方じかたで京都市中を管理し, 土倉役酒屋役等の商業税を徴収した。また,将軍が高位高官を得て,公家家礼けらい・家司けいしにするなど朝廷の秩序を幕府のものとした。寺社には個別に担当奉行人設定し,実務的な窓口とする一方,山門山門使節,禅院は 蔭涼軒主など,有力勢力の内部に統括の主体を置いて統制を行なった。これらの勢力からの儀礼に伴う将軍への献銭等は,幕府の経済を支え,とくに禅院からの献銭は莫大で,その基盤となる禅院領は直轄領に準ずる扱いをうけた。







「室町幕府」関連コンテンツ読み込み中...


コメント

記事「室町幕府」に関する感想・その他のコメントはこちらで。
記事の編集に関わる議論・質問は「室町幕府」の掲示板でお願いします。
comments powered by Disqus