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太平洋戦争

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 13:25




太平洋戦争」の掲示板 / コメント

たいへいようせんそう

第2次世界大戦のうちアジア・太平洋地域での日本と連合国との戦争アジア太平洋戦争とも。1941.12.8‐45.9.2。開戦後,日本政府中国との戦争を含め,〈大東亜新秩序〉をつくるための戦争であるとの理由から〈大東亜戦争〉と名づけた。日中戦争の拡大につれて深まった英・米との対立は,40年以降,独と結んで世界秩序を転換しようという膨張論が日本国内で高まり, 仏印進駐, 三国同盟日本が進むことによって決定的なものとなった。対米戦への躊躇もあったが,米の対日石油禁輸によりかえって統帥部には早期開戦論が台頭,天皇も次第に開戦論に傾斜,12.8,マレー半島コタバルへの上陸作戦, 真珠湾攻撃,フィリピンへの空襲によって戦争を開始した。
開戦当初,日本軍は電撃的に進撃して,半年間に東南アジアの主要部を占領,さらにインド洋・中部太平洋やニューギニア,ソロモン諸島へと戦線を拡大させた。日本は〈東亜解放〉〈共存共栄〉をスローガン自給自足経済圏の建設を図ったが,占領地に軍政を布き,鉱産資源食糧労働力収奪に終始し,経済的混乱・飢餓・民衆の反発を招いた。42年の ミッドウェイ海戦によって海軍機動部隊が大打撃を受け,日本軍は戦争遂行の主導権を失った。この後, ガダルカナルの戦を中心とするソロモン諸島での大消耗戦によって日本軍の劣勢は決定的となる。また,米潜水艦による商船撃沈によって日本の軍需生産も次第に低下した。44年6月の マリアナ沖海戦の敗北とマリアナ諸島陥落により日本の敗戦は避けがたいものになった。軍部決戦による形勢逆転に期待して戦争を継続したが,フィリピンでも膨大な犠牲を出して敗退した。45年にはいり米軍は硫黄島,沖縄へと進攻するとともに本土空襲を激化させた。5月に独が降伏し, 沖縄戦の見通しが暗くなっても軍部強硬派は 本土決戦を主張して戦争を継続した。だが,本土決戦準備も進まず,原爆投下とソ連参戦によって,日本政府は8.14に ポツダム宣言受諾を最終決定,15日の 玉音放送をへて停戦となり,9.2の降伏文書調印により正式に戦闘行為が終結した。52年4月の サンフランシスコ講和条約発効まで日本は連合国によって占領・管理された。この戦争による犠牲者は,日本310万人以上,アジア・太平洋地域で合計1900万人以上と推定されている。







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