ウィキまとめは誰でも自由に編集できるWikiサービスです

 操作

大正デモクラシー

・ このページの最終更新日時 2016年8月11日 (木) 14:46




大正デモクラシー」の掲示板 / コメント

たいしょうデモクラシー

日露戦争直後から大正末ないし満州事変前までの時期において,被抑圧諸階層を中心とする多くの人々の,政治的・経済的・社会的・文化的な諸領域における自由・平等など民主的な解放を求めて展開された多種多様な主張や運動,ならびにこれに共鳴する風潮。第1に,国内政治の民主化が求められた。支配機構の民主的改革の目標は未完成に終ったとはいえ,第1次第2次 護憲運動普選運動の全国的な高まりを背景に普選と政党内閣の慣行が確立したことはその具体的な成果である。
この時期には,全国各地の中小商工業者,ジャーナリスト,教員,学生,労働者,農民,女性や被差別部落民その他による経済的・社会的・文化的な領域の民主化をめざす主張・運動も展開されるようになった。都市民衆の悪税反対運動や友愛会日本農民組合の結成などは経済生活の民主化を,また 部落解放運動女性解放運動, 自由教育運動自由大学運動などは,社会的・文化的諸領域の民主化を求める動きの代表的な事例である。
運動に理論的な指針を与えた思想として,日露戦争後・大正初期までの 浮田和民らの立憲主義,大正中期の 民本主義,第1次戦後大山郁夫らの社会的デモクラシーを挙げられる。立憲主義の特色は内に立憲主義,外に実業上の帝国主義を唱えたところにある。民本主義のそれは,内政上の民本主義と,外交上の帝国主義に批判的な姿勢とを漸次強化させた点にあった。また社会的デモクラシーは国内的には政治的・経済的・社会的デモクラシーの実現を,対外的には国際上の民主主義の促進を唱えたところにその特質があった。また立憲主義的な天皇制思想としての性格をも持っていた。
このように特色は,1)市民運動的な性格を持っていたこと,2)運動に共鳴・参加した人々の多くが国内の民主化に賛成しながら日本帝国主義的な対外膨張主義賛同する傾向が強かったこと,3)世論の名による自己利益の実現をめざす現象が登場・浸透したところにあった。他方で政府が風潮を抑える手段として風紀・思想問題対策に取組んだ事実を見落してはならない。
<!---->







「大正デモクラシー」関連コンテンツ読み込み中...


コメント

記事「大正デモクラシー」に関する感想・その他のコメントはこちらで。
記事の編集に関わる議論・質問は「大正デモクラシー」の掲示板でお願いします。
comments powered by Disqus