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大名

・ このページの最終更新日時 2015年11月19日 (木) 10:44




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だいみょう

[1]勢威ある人・家の呼称。家格を示す語。〈たいめい〉とも。平安時代中頃より現れ,その起源は,多くの名田みょうでんを持った者を指すとされているが定かではない。平安・鎌倉時代には,一般的に有勢者の呼称として用いられた。室町時代には,守護や,都市農村など民間の分限者ぶげんしゃをも指した。学術上は,南北朝から室町時代にかけて守護職を基盤に国衙こくがの機構・機能を接収し,国内武士被官として領国を形成した大名守護大名とよび,また,守護大名に代って台頭した戦国時代大名戦国大名とよぶ。
[2]戦国大名織豊政権下で編成された後,関ヶ原の合戦後になって,江戸幕府改易転封減封による大名の配置替えを進めた。大坂の陣豊臣氏が滅びると 武家諸法度を発令して武家の規範を定め,1615(元和1)法度では大名・小名,35(寛永12)法度では国主・ 城主・1万石以上と規定し,後に大名は国主・准国主・城主城主格・ 無城の5格に定まった。石高規模により30万石・10万石・1万石以上の3等に分けることもあり,将軍家との親疎の関係では, 御三家御三卿家門譜代外様に分けられる。4代将軍家綱の頃に大名家格による極位極官が固定化し,これらの格式をもとに 殿席が定められた。
近世大名は徳川将軍から付与または安堵された領知石高に基づき, 参勤交代, 手伝普請, 番役などの 軍役を奉仕する主従関係のもとに置かれ,領内統治幕府軍役を果たすための家臣団を編成した。将軍代替り時には領知状(判物朱印状)を交付され,大名の代替り時には将軍に拝謁して承認の手続きを必要とした。江戸藩邸に妻子を置く義務があり,寛永期(1624‐44)には参勤交代も制度化。幕末には260家前後があり,版籍奉還により知藩事となり, 華族に列せられ,東京在住を命じられた。
→藩







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