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南北朝の内乱

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 09:47




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なんぼくちょうのないらん

南北朝時代,半世紀以上にわたった全国的内乱。以下の4期に時期区分される。第1期は1331(元徳3/元弘1)の 後醍醐天皇の倒幕挙兵に始まり,建武政権を経て35年足利尊氏の叛乱,36(建武3/延元1)後醍醐吉野への逃亡まで。第2期は後醍醐皇子の各地への派遣と軍事的抵抗,とくに関・大宝城の陥落によって北畠親房東国での抗戦が敗北に終った43(康永2/興国4)まで。第3期は高師直足利直義の対立から尊氏・直義兄弟の対立に進み,全国武士二分して戦われた 観応の擾乱と,その余波がほぼ鎮まるとともに将軍足利義詮が死んだ67(貞治6/正平22)まで。第4期は一門守護大名細川頼之に補佐された足利義満が登場し,なお分裂抗争する各地の国人領主守護大名の統合を進め,同時に荘園制を基盤に一定の政治力を保持しつづけていた公家・寺社勢力をおさえこみ,ついに南朝の解消に成功した92(明徳3/元中9)まで。
内乱皇位をめぐる両統の権力闘争にとどまらず,政治・社会・経済の諸分野に大変動をもたらした。第1は,内乱を通じ北朝公家寺社勢力も大きく後退を強いられ,内乱後の幕府全盛期には事実上の将軍単独王権が成立したこと。第2に,守護が管国内部の国人領主の家臣化を進め,一国段銭徴収や所領紛争に対し裁判権行使など,軍事権にとどまらず土地支配や民事的裁判にまで権限を拡大し,守護大名ないしは 守護領国制とよばれる体制を発展させたこと。第3に,公家寺社勢力の基盤であった荘園守護国人等によって押領あるいは請負という形で蚕食され,同時に農民の年貢減免・夫役拒否の動きも強まり,荘園制の解体が進行したこと。第4に,動乱の中で物流・商業活動や貨幣流通が活発となり,それと表裏の関係で田楽猿楽連歌など民衆性の強い地方文化が展開しはじめたこと,などが主要な特徴である。







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