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内閣

・ このページの最終更新日時 2016年10月6日 (木) 10:29




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ないかく

(1)[歴]([中]neige)中国、明・清時代の中央政治機関。明初の永楽帝(Yongle Di)(成祖)が中書省・宰相を廃止し、親政の補佐のために翰林院(カンリンイン)の学士から優秀な人物を選んで殿閣(デンカク)大学士として宮中の文淵閣(ブンエンカク)に入れて重要政務に参画させたことに始まる。のち内閣大学士と改称し、やがて六部(リクブ)・尚書(ショウショ)を兼ね行政権を得て、明末には権力が増大し事実上の宰相となった。清初、ホンタイジ(Hongtaiji)(太宗)が内三院を設置。康煕帝(Kangxi Di)(聖祖)以後、内閣と改めた。
1729(享保14)<雍正 7>雍正帝(Yongzhong Di)(ヨウセイテイ)が軍機処(Junjichu)を設置してのち実権は失われた。
1911(明治44)<宣統 3>内閣・軍機処はともに廃止され、近代的な責任内閣制度となった。
内閣大学士
(2)[政]([英]cabinet)日本の国家行政を担当する最高機関。首長たる内閣総理大臣とその他の国務大臣で組織する合議体。国務の総理(事務の統一・管理)、法律の執行、外交関係の処理、条約の締結、予算の作成、政令の制定、大赦特赦の決定、また天皇の国事行為について助言と承認を行うなど多くの重要な職務権限をもつ。内閣は閣議による意思決定にもとづいて行政権を行使し、国会に対して連帯してその責任を負う。衆議院不信任決議案が可決され、または信任決議案が否決
されたときは、10日以内に衆議院を解散するか総辞職をしなければならない。
1885.12.22(明治18)太政官(ダジョウカン)制を廃し内閣制度を創
設、第1次伊藤博文内閣が成立する。
大日本帝国憲法では、天皇に任命された総理大臣と各国務大臣が天皇に対して輔弼(ホヒツ)の責任を負うに過ぎなかった。日本国憲法では、国会で指名された総理大臣と、総理大臣が任命した各国務大臣によって内閣が組織され、行政権の行使について国会に対して連帯責任を負う。







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