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ロシア

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 12:34




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Russia

ユーラシア大陸北部ウラル山脈をはさんでヨーロッパとアジアにまたがる世界最大の国。露西亜,露。Rossiya(ロシア)
〈概要〉ロシア連邦Russian Federation面積1,707.5万2。人口1億4,774万(1996)。首都モスクワ。住民はロシア人82%,タタール人4%,ウクライナ人3%など100以上の民族。言語はロシア語公用語)。宗教ロシア正教25%,無宗教60%。政体共和政。元首は大統領。通貨単位ルーブルruble)。
〈自然〉21共和国,6地方,49州,4自治管区,2連邦直轄市,1自治州で構成。ヨーロッパ部は平地・丘陵地帯で,中央部に東ヨーロッパ平原が広がる。アジア部はシベリア(シビリ)と呼ばれ,西部に西シベリア低地,中央部に中央シベリア高原が広がり,東・南部山地帯カスピ海に注ぐボルガ川北極海に注ぐオビ川エニセイ川レナ川オホーツク海に注ぐアムール川など,世界屈指の大河が流れる。気候は全体に大陸性で,内陸へ行くほど夏と冬,昼と夜の気温の差が大きい。自然帯はかなり単純で,北から南へツンドラ永久凍土帯),針葉樹林帯,混合樹林帯,ステップ草原帯)と変化する。
〈産業〉資源大国であり,特にシベリアは,「元素でないものはない」といわれるほど多種多彩な資源を産出する。森林資源無尽蔵といってよい。ソ連時代に国有企業を中心に重化学工業が発展。1987年以降は外資導入が促進され,合弁外資系企業が増加した。しかし,法的基盤の未整備,環境対策の遅れなど多くの問題を抱えており,工業の低迷が国内経済の復興を遅らせている。農業は,ヨーロッパ部での麦類・トウモロコシ・テンサイなどの生産や牧牛が中心で,シベリア気候のきびしさをまだ克服できていない。1991年末にコルホーズ集団農場)・ソフホーズ国営農場)からの農民の独立が認められたが,加工・貯蔵・輸送などの流通システムの未整備の問題や,生産性の低さの問題が未解決。
〈歴史―国家形成期〉5~6世紀ごろ東スラブ族が入植。862年スウェーデンノルマン人の族長リューリックがノブゴロド公国を建国したと伝えられる。882年オレーグ1世がノブゴロドとキエフを統合し,キエフ公国を樹立。988年ウラジミル1世がビザンティン皇帝の妹アンナと結婚し,キリスト教(正教)を国教と定めて集団的改宗を行った。以後,キエフ公国を中心に正教(のちのロシア正教)が普及し,ビザンティン文化の影響を受けたロシア文化が発展した。11世紀半ばから多数の公国に分裂して弱体化。13世紀にモンゴル軍が侵攻してキプチャク ハン国を建てると,同国への多額の貢納に苦しむこととなった。14世紀にモスクワ大公国が生まれ,民族的統一国家を形成して,1480年キプチャク ハン国の支配を脱出。1547年ツァーリ皇帝)を称したイワン4世(雷帝)は,中央集権国家体制を完成させたのち,領土の拡大に努め,ボルガ川流域からシベリアまで支配下に収めた。
〈歴史―ロマノフ朝時代〉17世紀初めの動乱時代を経て,1613年ロマノフ朝が発足。ピョートル1世(在位1682~1725)の代に西欧化・近代化政策によって大きな発展を遂げた。エカテリーナ2世(在位1762~1796)の代にはヨーロッパ列強の1つとなったが,一方では農奴制が強化され,農民暴動やプガチョフの乱(1773~1775)が起きた。ナポレオン戦争後,西ヨーロッパから新しい思想が導入される一方で,政治の反動化が進み,1825年青年将校団の反乱(デカブリストの乱)が発生。1853~1856年のクリミア戦争の敗北は,行政・軍・経済の後進性を表面化し,アレクサンドル2世(在位1855~1881)は農奴解放地方自治体(ゼムストボ)の設置などの広範な改革を実施した。しかし,この農奴解放は不完全なもので,農民の生活はますます悪化し,1870年代にナロードニキ無政府主義者の活動が活発化し,1881年皇帝暗殺された。1890年代に蔵相ウィッテによる急速な工業化が行われ,それに伴って有力な社会層となった小市民・労働者の不満が高まった。日露戦争中の1905年,「血の日曜日」事件を契機に全土でストライキ暴動が発生(第1次ロシア革命)。翌年ドゥーマ国会)が開設され,ストルイピン土地改革が行われたが,1914年第一次世界大戦突入によって国内体制のもろさが暴露され,1917年3月(ロシア暦2月)の二月革命ロマノフ朝は崩壊。ケレンスキー首相とする臨時政府が生まれたが,同年11月(ロシア暦10月)の十月革命で崩壊した。
〈歴史―ソ連時代〉十月革命に成功したレーニン指導下のソビエト政権は,反革命軍との内戦や諸外国の干渉に対して,「戦時共産主義」と呼ばれる緊急政策をとり,土地工場銀行などを国有化して政権を維持したが,その間にバルト3国,ポーランドフィンランドが独立。1921年個人企業の容認などの資本主義的要素を一部取り入れたネップ(新経済政策)を採用。1922年ロシア,ウクライナなど4共和国からなるソビエト社会主義共和国連邦を結成。レーニンの死(1924)後,スターリントロツキーらの政敵を粛清して独裁権力を獲得。一国社会主義路線に基づいて経済5か年計画を発足させ,重化学工業化と農業集団化を推進した。1936年新憲法スターリン憲法)を制定。1939年ナチス ドイツと不可侵条約を結び,その秘密議定書に基づいて,1940年バルト3国とモルドバ併合した。第二次世界大戦後,東ヨーロッパ諸国の共産化に成功し,西側のマーシャル プランに対抗して1949経済相互援助会議コメコン)を結成。翌年,中ソ友好同盟相互援助条約を締結。スターリンの死(1953)後に実権を握ったフルシチョフは,1955NATOに対抗してワルシャワ条約機構を結成。翌年ハンガリー動乱に介入。1962キューバミサイル基地を設置し,キューバ危機の原因をつくった。一方では,スターリン批判を行い,西側との平和外交を推進。1960年代前半には中国との対立が表面化した。フルシチョフ失脚(1964)後に実権を握ったブレジネフは,18年にわたる長期政権を維持したが,人事政策とも保守的で,官僚腐敗して「事なかれ主義」がはびこり,経済・社会の停滞が続いた。1968年プラハの春」を圧殺,1979アフガニスタンクーデター軍事介入して国際的非難を浴びた。1985年3月党書記長に就任したゴルバチョフは,ペレストロイカ(立て直し)路線を打ち出し,一党独裁制の廃止大統領制の採用,国有企業の独立採算制移行個人企業の創設,農地私有の承認などの大改革を実行。また,グラスノスチ公開性)と呼ばれる情報公開の拡大政策をとった。外交面では,米ソ間の大幅核軍縮東ヨーロッパ諸国の非共産化の容認,米ソ首脳会談1989)による冷戦終結などの「新思考外交」を展開。一方では,一連の民主化政策少数民族民族意識を高め,1990年以降バルト3国など諸共和国で主権宣言や独立宣言が相次ぎ,民族紛争が激化して,連邦は解体に向かった。ゴルバチョフ新連邦条約締結による連邦維持をはかったが,1991年8月保守派によるクーデター未遂事件が発生し,政治の主導権はクーデターに抵抗したロシア共和国大統領エリツィンに移った。9月バルト3国の独立を承認。この前後に,ロシアを除く他の共和国も相次いで独立を宣言。12月バルト3国とグルジアを除く11共和国がCIS創設協定調印し,ゴルバチョフは大統領を辞任して,ソ連は解体した。
〈歴史―ロシア連邦時代〉ソ連解体後,物資不足からインフレが発生し,闇(やみ)物資の取り引きをめぐってマフィアが急成長。近年は物資不足はほぼ解消されたが,貧富の差の拡大,犯罪の増加,炭鉱労働者の賃金の遅配,祖国の世界的地位の失墜などは国民の不満を増大させ,改革派から支持が離れる傾向にある。また,かつての自治共和国自治州のほとんどが共和国を名乗り1992年3月中央政府ロシア連邦条約を締結して自治権を拡大。調印を拒否したチェチェンはイングーシと分離し,ロシアからの独立をめざしたため,19941997年ロシア軍との内戦となった。一方では,経済不振からロシアとの関係強化を進める国もあり,1997年ベラルーシがロシアと連邦条約を締結した。







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