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フランス

・ このページの最終更新日時 2016年8月30日 (火) 12:17




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France

西ヨーロッパ,北・西は大西洋,南は地中海に臨む国。仏蘭西,仏。法国。▽フランク王国に由来。
〈概要〉フランス共和国French Republic面積55.2万2。人口5,837万(1996)。首都パリ。住民はさまざまなヨーロッパ人・地中海人の混血。言語はフランス語公用語)。宗教カトリック90%。政体共和政。元首は大統領。通貨単位フラン(franc)。1999年よりヨーロッパ一通貨ユーロを導入。
〈自然〉南東端のアルプス山脈と,南西端のピレネー山脈以外はなだらかな地形で,国土の約3分の2は平野丘陵が占める。北部パリ盆地はケスタ地形で有名。北大西洋海流偏西風の影響で,気候は温和。大部分が西岸海洋性気候に属し,夏と冬の気温差が少なく,年間を通じて降水がある。南部は夏に乾燥する地中海性気候が見られる。
〈産業〉西ヨーロッパ第1の農業生産国で,小麦・トウモロコシ・肉類・チーズ・砂糖生産は旧ソ連を除くヨーロッパ第1位。大麦・ブドウ・牛乳・バター生産もヨーロッパ有数。特にブドウは,北部を除くほぼ全土で栽培され,各地に有名なワイン産地がある。石炭・鉄・ボーキサイトなどを産し,パリ,リヨン,フランドル地方,アルザスロレーヌ地方,マルセイユなどに工業地帯を形成。
〈歴史〉旧石器時代クロマニョン人が中南部に居住し洞窟(どうくつ)遺跡を,新石器時代には別の人種巨石文化などを残した。ラスコー洞窟壁画や,カルナックドルメンなどは特に有名である。その後ケルト人が定住したが,BC2世紀からローマに征服され,その属州ガリアとなった。AD3世紀以来キリスト教が広まり,都市を中心にラテン文化が栄えた。ゲルマン民族の移動によって,5世紀ごろフランク族が来住して,ライン川下流地域を中心に勢力を広げ,9世紀初めカール大帝シャルルマーニュ)が統一帝国を建設。この帝国ベルダン条約(843)・メルセン条約(870)を経て分裂し,フランスの地は西フランク王国領土となったが,ノルマン人の侵入や封建諸侯の台頭によって衰退した。987年パリ伯ユーグ カペーがカペー王朝を開き,他の封建諸侯を征服して中央集権化をはかり,十字軍にも参加。イギリスとの百年戦争(1337~1453)は,ジャンヌ ダルクらの出現によって危機を脱した。その後,国王は市民と結んで財政を確立し,諸侯の所領を奪って王権を伸張させ,また民族国家としての諸制度を整えた。16世紀には,イタリア ルネサンスの影響を受けてラブレーモンテーニュらが現れ,国民文化が栄えた。また,このころ宗教改革運動が起こり,それが政治抗争と結びついて激しい内乱ユグノー戦争)をひき起こしたが,1598年アンリ4世ナントの勅令を発布してこれを鎮め,ブルボン王朝の絶対王政の基礎を確立した。この王朝は農民・手工業者を基盤に,封建貴族をおさえて王権を強化。ルイ14世のころは,重商主義政策によって経済力・軍事力を増強,文化もベルサイユ宮殿を中心に栄え,ヨーロッパを支配するに至った。海外にも積極的に進出して,カナダ・西インド諸島マダガスカル・インド沿岸地方を領有。しかし,18世紀には,イギリスとの植民地抗争に敗れ,絶対王政の矛盾が現れ,モンテスキューボルテール,ルソーらの啓蒙(けいもう)思想が広まり,1789年封建制度を打ち破るフランス革命が起こった。革命勢力は「人権宣言」を発布して国民公会を開き,王政を廃して共和政をしいた。1804年ナポレオン皇帝第一帝政)となり,対仏同盟軍を各地で破って,一時はヨーロッパを制覇したが,まもなく失脚してブルボン家が復位。復古王政は反動化したため,七月革命(1830)をひき起こし,ルイ=フィリップを王位につけた(七月王政)。しかし,産業革命の進行とともに共和主義社会主義運動がさかんとなり,二月革命(1848)が発生して,共和主義者が中心となって政府を樹立した(第二共和政)。1851年ルイナポレオンナポレオン3世)がクーデターを起こして,翌1852年帝政(第二帝政)をしき,専制政治を行ったが,プロイセンフランス戦争(1870~1871)の敗北によって解体。パリ コミューンを経て,1875年にブルジョワ的共和政(第三共和政)が確立した。19世紀末から帝国主義の段階にはいり,新興ドイツに対抗するためにイギリス・ロシアと協商三国協商)を結成。第一次世界大戦で戦勝国となり,長年の係争地であったアルザスロレーヌを回復した。戦後は小政党が分立して政局が安定せず,一時は人民戦線内閣が成立。第二次世界大戦では緒戦にナチス ドイツに敗れ,ビシー政権が成立してドイツの占領下に置かれた。各地でレジスタンスが展開され,1944年8月に連合国軍と協力してパリを解放,ド ゴールを首班とする臨時政府を樹立した。戦後1946新憲法を発布(第四共和政)。植民地ベトナムアルジェリア民族解放運動に武力介入したため,国内では経済的危機や政治的対立を生み,国際的にもその地位は下落した。1958アルジェリア問題による軍部の反乱を機に,ド ゴールが再起し,強力大統領制を軸とする新憲法を制定(第五共和政)。ド ゴール政権は,大国フランスの栄光を回復するため,西ドイツとの協力を緊密にし,EECによって経済の発展を期し,核開発を進めて第4の核兵器保有国となった。また,中国との国交回復,NATOから軍隊を引き揚げるなどの独自の外交政策をもって,国際的地位の向上をはかった。1969年4月ド ゴールの辞任後,ポンピドー,次いでジスカールデスタンが就任。1981年社会党ミッテランが大統領に当選して以後は,共産党との左翼連立政権19811984)や,保守のシラク首相との保革共存政権19861988)が誕生。ミッテランは米ソ両国に対して独自の立場を維持するとともに,EC統合を推進,ドイツとの合同軍を設置するなど,ヨーロッパ地位の強化に努め,1992核拡散防止条約調印した。しかし,次の大統領シラクは,1995年南太平洋核実験を再開し,非難を浴びた。







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